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2020/06/12

日記・⑦ 三里の渡しについて(寄り道)

地元の新聞によりますと、「七里の渡し」について次のような記事が載っておりました。

三代将軍家光は船酔いのため、明治天皇は大政奉還で東京遷都時にも三里の渡しを利用したようです。

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桑名宿へ向かう「三里の渡しの湊」 右側の建物は代官所で、現に代官所跡の石柱があります。

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湊は今ではコンクリート製の農業用水になっており、明治天皇も芭蕉もビックリされているでしょう。
また、農業用水は旧の堤防にあり、田にはバルブの開閉で水が入るようになっており、万一、木曽川が益水しても一段と高い所の農業用水路が止水の役目を果たします。


熱田区と桑名宿を船で結んだ「七里の渡し」について江戸後期の旅行記「東海道中膝栗毛」で弥次さん、喜多さんも通った東海道の記録を読み解くと、お伊勢参りなどに向かう旅人たちは、この海路をあまり使っていなかったらしいと記録があるそうです。

理由は、危険な海路を避けて尾張の名所を巡ってみたいとの旅心があったようです。
この実態を明らかにしたのは地元の学芸員で、五年ほど前から全国各地に足を運び調べたそうです。


現在の名古屋市熱田区の「七里の渡し」より、私が住んでいる近くの「三里の渡し」を選んだのは、安全な海路だった他に「那古野城下の見物」、「清州城下の見物」「甚目寺観音へのお参り」「天王神社へのお参り」の他に、織田信長の出生地は今までは「那古野城」が有力と言われており見物もしたのでしょうか。

最近の信長の出生地は天王神社より北へ数キロメートル離れた「勝幡城」だったことが有力になっています。
今年は中止になりましたが、天王川で行われた祭りに信長が御忍びで見物に来たという記録があるそうです。


勝幡城

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コメント

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こんにちは

昔から船酔いする人がいたのに少し驚いています。
私の印象では、昔の人は強いからそんなことは絶対ないでした。
織田信長については、知りたい事だらけです。
いろいろ言われていますが、双極性障害があったのでは?など思うのです。
しかし、武将としては非常に魅力的です。

こんにちは、

やはり船に酔う人もいたのでしょうが、薬がなく大変だったことでしょう。
信長は解らない人で、多少の持病持ちでも家来がオブラートで包みますから実際の所はどうだったのでしょうか。